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memory - かみの橋

2007年 写真、テーブル、椅子、布


母が突然逝った。親不孝も甚だしくて、それこそ、年に2、3度会えばいい方といった風だったからなのか、いまだに死んでしまったという実感がどこか湧いてこない。これまでのように、ちょっと離れたところにいて、新しい作品ができあがったりすると「あら、いいじゃない今度の…。」なんて言い出しそうなのだ。

傍から見ると、薄情だと思われてしまうかもしれないが、直後から悲しみに暮れるなどといった気持ちにどうもなれなかった。死んでしまった気がしないのだから、致し方ないとしか言いようがない。既に死んでしまった人が、自分の中に実在しているという感覚。これは、実に不思議なものだ。かけがえのない人の死とは、こんな痕跡を残すものなのだろうか。死んだ母と私は今、説明のつかない奇妙な一体感でつながっているようなのだ。

生きていた頃よりもむしろ親密になった気のする母。その母の一生とは、どんなものだったのだろう。何故か無性に知りたくなって、母のことを良く知る叔母や母の古い友人たちに、私の知らない母の若い頃の話を聞かせてもらった。そんななか、若い母の姿が写っている、赤茶けた古い写真を見せてもらうと、この、過去へ逆走して行くかのような一連の行為が、なぜかきらきらと光り輝く、未知のどこかを目指しているような気がしてきた。

しばらくして、その古ぼけた写真が撮られた、同じ場所へ出かけてみようと思い立ち、母の郷里へ向かった。目の前に現れたのは何の変哲もない風景だったが、紛れもなくその昔、母が見たであろう景色に違いない。その景色を写真に撮ってみると、そこには、母の過ごした時間が、ほんの少し立ち現れてくるような気がした。

斎藤 美奈子

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日本橋高島屋美術画廊X、東京